小・中学校の頃、親も学校も呆れるほど勉強嫌いだった。
宿題なんか書いた事がなかったが、親にも先生にも文句を言われた事がなかった。
みんな、諦めていたんだ。
そんな僕だが、成績は上位10%ぐらいだった。そして、県でNo1の進学校を受験した。
危ないとは思ったが、僕の学区では普通課は県No1の高校だけだった。
それしか選択肢がなかった。
結果は、不合格!
不合格で呆然としている時、気休めにヤクザ映画を見に行った。
映画の中では、簡単に人が死んでいった。
僕の不合格なんて、ちっぽけな悩みの様に思た。
しかし、すぐに放心状態に戻った。
一週間程で少し楽になったが、それは地獄の始まりだった。
1. 約束は、全てウソだった!
不合格で呆然としてる時、新設の私立高校から誘いがあった。
「進学に力入れて、退職した進学校の先生も呼ぶ。」
それが嘘だってことは、子供の僕にもわかった。
しかし不合格で傷ついた心には、誘ってくれるだけでも有り難かった。
学校に行ってみると予想以上に酷かった。
呼んでくると約束した先生はいない。
生徒はバカばかりなので、授業も1年間で2ページしかやらない有様だ。
そんな授業に付き合える訳がなく、全部の授業で独学することになった。
まいったのは先生が授業を聞けと、独学の邪魔をしてくる。
一年に2ページしか進まない授業に付き合える訳がない。
勉強の助けにならなくっても、せめて邪魔だけはするな!
2. 周りから「白痴」と思われる。
高校に進学してしばらくすると、人の視線が辛くなってきた。
親戚も近所の人も、まるで白痴をみる目でみるのだ。
まるで幼児に話かける様に、ゆっくり話すのだ。
「あら、お使いに行ってたの。いい子ね〜ェ。」
これには参った。
誰も「一流高」に運悪く落ちたと思わず、バカと確信しているのだ。
僕は部屋に閉じこもる様になり、日めくりのカレンダーに卒業までの日数を毎日書き込んだ。
その頃、「巌窟王」の話を読んだ。涙が出てきた。
3. 進学高の中間テストは、0点だった。
僕には、妙な自信があった。全く勉強しないで、上位10%いた。
ちょっと勉強すれば、かなり良い線に行くのでは。
中学のときは数学の公式なんか「うろ覚え」。それが今は、高校の難しい公式もなんとか覚えている。
これだけ勉強してるのだから、進学校で上位になのでは?
初めての中間試験の時、進学高に進んだ友達が試験のコピーを持って来てくれた。
全くわからない! 0点確定!
聞けば「平均点60点、赤点40点」
私は赤点どころか、ダントツのビリ確定!
自信は脆く崩れ、涙が出て来た。
僕の人生って、これからどうなるだろう。
4. 「花は桜木、男は明治」と叫びながらやってくるオバはん
親戚のオバはんが週に2回ほど、息子の自慢にやってくる様になった。
どんな親戚か知らないが、明治に行った息子のが自慢らしい。
耳が遠くて人の話は聞こえないらしく、一方的の大声で話す。
家中に響き渡る声で、僕は勉強出来なくって困った。
母親は落ち込コミも怒りもしないで、平気で話を聞いていた。
初めて「うちの母ちゃんは偉い!」と思った。
母のためにも、「絶対に、旧帝大か早慶に行くぞ」と誓った。
5. 血塗れの教室
さすが県No1のDQN高だけあって、校内暴力も酷かった。
僕は別格だったので巻き込まれなかったが、目を付けられないか心配だった。
忘れ物を取りに教室に戻ると、喧嘩していた二人が逃げ出してきた。
シャツは血塗れで、教室の床には点々と血痕がついていた。
こんな生徒たちだが、卒業後は真面目な職人さんになってる人が多い。
みんな社会ではちゃんと出来るのだから、学校がもっとシッカリすれば良いのにと思う。
6. DQN高の教育レベル
DQNの高校だったけど、ほとんどの人は普通。
話しても、別にアホじゃない。
中学校のテキストを持って来て、どこで躓いてるか調べて見た。
英語は、”This is a pen.”はわかるけど、”That is a pen.”はわからない。
数学は、分数の計算が全く出来ない!
要するに小学校ですでに挫折し、中学校の勉強には全く理解出来ないレベルだった。
それでもみんな、Fラン大学と言われる大学に進学した。
7. 東大生を家庭教師に
高校1年の夏休み、母が親戚の東大生に家庭教師に頼んだ。
全く笑わない数学マシーンの様な人だった。
僕は自分のレベルがバレるのが恥ずかしかったので教えて貰わず、僕が用意した数学の問題を解いてもらった。
彼は問題をみると、数分じっと作戦を考える。
「この3つの解法を思いついたけど、多分1と2は途中で解けなくなる気がする。一番可能性が高いのは3だから、3で計算してみよう」
とか言って、解き始める。
式を変形しながら「ここで必要十分条件が崩れるから」とか意味不明の事を呟く。
彼は鉛筆を使わず、高級万年筆を使う。 一度もミスをしない。
3年間習ったけど、解けない問題はなかった。
なんて凄い奴なんだ。
でも彼は東大の数学課を卒業後、 高校の数学の先生として定年を迎えた。
高校教師が悪い訳じゃないこど、何か勿体ない気がする。
8. 一流予備校へ
現役のとき、「国立と早慶」しか受験しなかった。
教師は地元の国立も受験する様、しつこかった。
東京ゆきの汽車の窓から顔を乗り出し、遠ざかる町を見ていた。
やっと終わった!
参考書で勉強はできない!
長々と書いてきたけど僕が言いたいのは、
参考書では勉強はできない。授業が大切!
と言うことだ。
多くの人が「独学した」と思っているけど、それは錯覚だ。